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旅する、暮らす、徳島県海陽町

【海陽町】サーファーのまちを拠点にサステナブルな藍を発信

2025.02.01

海と藍の色に魅了され ヒト、モノ、コト、トキをつなぐ

旅の最後に訪れたのは県最南端のまち、海陽町。南東の海岸線は太平洋に面していて、室戸阿南海岸国定公園に指定されている。さっそく砂浜に飛び出したトリンドルさん。裸足になって、「気持ちいい〜!」と波打ち際を歩く。そして向かったのは、この浜の正面にある〈in Between Blues 〉。フリーサーファーとしても活躍する永原レキさんが代表を務める”藍とサーフィン“ のセレクトショップだ。

「藍とサーフィンって、不思議な組み合わせですね」とトリンドルさんが言うと、永原さんは「海に入って水平線を見ていると、世界はつながっている気がするんです。徳島の伝統文化である藍染めが生み出す青の濃淡にも同じ魅力を感じて」とおだやかに答える。その言葉どおり、店には海にまつわるものや、藍染めのアイテムがずらり。「徳島には豊かな海、昔から大事にされてきた麻織物や藍の文化がある。

そのよさを広めたいし、それらを通して自然保護や社会平和に貢献できたらと思っています。すべては、この美しい海陽町にずっと住んでいたいという気持ちから出てくるものなんです」。永原さんの熱い思いに、トリンドルさんも刺激を受けたよう。「ずっと昔からあるもののよさを知っているからこそできること。私、まだまだ知らないことばかりだな」

永原レキさん:徳島県海部郡海陽町出身。フリーサーファー。国内外の海沿いのまちを渡り歩いたのちUターン。2016年に〈in Between Blues 〉を立ち上げ、藍とサーフィンを軸に幅広く活動する。

 

移住者インタビュー

海陽町× 永原レキさん

Uターンしてきたこのまちで ずっと波乗りができるように

自身で染めた藍染め布をボディに施したサーフボード「空海」を片手に海陽町の浜辺に現れた永原レキさん。県内の呉服店とコラボしたという藍染めアロハシャツがよく似合う。彼はいま、フリーサーファーとして活動しながら、藍とサーフィンを軸に海陽町から「ヒト、モノ、コト、トキをつなぐ」さまざまなプロジェクトを立ち上げ、発信している。海陽町は、遠方から波乗りに来る人や、そのために移住する人も多いまち。

ここで生まれ育ち、14歳でサーフィンを始めた永原さんは、千葉県の大学に進学後、数々の大会を制し、23歳で競技者を引退。サーフカルチャーが根づく国内外のまちを渡り歩いたのち2 0 1 0年に地元へ戻ってきた。「もともと絶対にUターンするつもりでした。海陽町は海も川も山もあって美しいし、食も豊か。ただ、海陽町はもっと魅力的なまちになれるんじゃないかと思っていて、海外にいたときもそのヒントを探しつづけていたんです」。そんななかで出会ったのが、サステナブルを常に意識しながら生きる海外のサーファーたちだったという。「彼らから学んだのは、自分の目で見て触れて、いいと思ったものを選ぶことの大切さ。そんな衣食住への意識がスタンダードになってほしい」と永原さん。その生き方に共感してこの地に移住する人も少なくない。

「僕の藍染めスタジオが不調なときは、神奈川出身で海陽町に移住した友人の藍染め職人、庄司拓也さんの力を借りたりする。同じ意識を持った人たちが協力し合い、この地を盛り上げようとしているんです。もっと社会をよくしたいし、自然や平和を守りたい。すべては、この先もずっとこのまちで暮らし、サーフィンをしていきたいからです」。生まれ育った海陽町への愛こそが、永原さんの原動力だった。

※移住ハンドブック「旅する、暮らす、徳島県。」 より一部記事を転載しています。

「旅する、暮らす、徳島県。」 発行:徳島県/制作:講談社『FRaU 』編集部

Contents

WEB公開!移住ハンドブック「旅する、暮らす、徳島県。」~ダイジェスト版~

<トリンドル玲奈さんと、徳島を旅する>

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 【美馬市】築1 5 0 年の古民家に個性豊かなショップが集う

 【海陽町】サーファーのまちを拠点にサステナブルな藍を発信

<ふだんづかいのとくしま>

<徳島ってこんなところ>

<移住者たちのリアルな声を聞いてみよう>