移住者インタビュー

Interview

Uターン30代サービス・飲食情報サービス徳島市

自分にしかできないことをたくさんの人に伝えたいなら 田舎のほうが意外と良いかも

近藤洋祐さん

株式会社 電脳交通 代表取締役社長

取材年月日 2018年11月

徳島市内の高校を卒業後、メジャーリーガーを目指しアメリカの大学に進学。卒業後は帰国、祖父が社長 を務める『吉野川タクシー』に入社し、ドライバー経験を経て代表取締役に就任。妊産婦向けの送迎サー ビス[マタニティタクシー]や学習塾へ子どもを送迎する[キッズタクシー]など画期的な新サービスを 次々と開始。その後、タクシー配車システムの開発・提供と配車業務の代行事業を行うベンチャー 『電脳交通』を立ち上げる。2016年、地域密着型ビジネスを支援するコンテスト『徳島創生アワード』で [クラウド型タクシーコールセンター]事業が大賞を受賞。目覚ましい活躍ぶりはタクシー業界の風雲児 とも評されている。

--海外でメジャーリーガーを目指していたということですが、徳島に帰ってきたいきさつは?

近藤さん:自分の中で「必ず徳島に帰ってきたい」という思いは、あまりありませんでした。当時、海外には 「メジャーリーガーになれる」と思って行っていたので。でも「なれないんだ!」と気づいた時は 困ったなぁと思いました。
自分が困った時によく使うのが、『原点に立ち返る』こと。つまり、なにも無いのであればゼロから スタートするという割り切りを重要視していて。メジャーリーガーの夢を諦めたとき、当時自分に残 っているものは徳島という故郷だけだったんです。それまでに積み重ねてきたことは、『徳島で生きて きた』ということしか無かった。とりあえず、なんの目的もなく徳島に帰ってきたんです。

実家がタクシー会社を経営していたのですが、「継いでほしい」「帰ってこい」とかは言わ れずに、「好きな人生歩めばいいんじゃないの」という風に言われていました。
けれども、徳島に帰ってきたタイミングで経営者だった祖父がタクシー会社を辞めるとい うことを言っていたので「家業を継ぐということも、ひとつの選択肢だな」ということも 思っていました。

グローバルな人たちとの出会い、対峙していく面白さ・・・
あの刺激がどうしようもなく焼き付いていた。

近藤さん:アメリカの大学を卒業後、徳島に帰ってきて新卒で小松島の企業に就職しました。この会社は製造業で、現場研修 を兼ねて1日何時間も製品の梱包作業をしていました。その作業はおもしろかったんです。
単純作業が夢中になれた。しかし、その単純作業の繰り返しの中で、「あの、メジャーリーガーを目指していた野 球選手としての美しいモチベーションを持ち続けたい」と強く感じました。あの時の経験を何らかの形で自分の 人生に活かしていきたい、と。

アメリカで野球をしていたら、そこにはグローバルな人材が集まってきていました。メジャーリーガーを目指し ていく過程で出会った人々、経験、その環境自体がものすごく刺激的で、何か目的をもって活動をする素晴らし さを感じていました。僕はピッチャーだったのですが、試合の場面で、どう考えてもピッチャー優位のカウント なのになぜか打者の迫力に押される、というようなことがありました。それはそのバッターが、たとえば途上国 から奨学金で来ているとか、家族全員の生活を背負ってチャレンジをしてきているような人だったりして。 「日本人のぬるいやつに負けるわけにいかない」みたいな、そういう気迫がすごい伝わってくるんですよ。
ある宗教を信仰している家庭に生まれたという前提がある生き方とか、生活水準の低い家庭で生まれたという前提 がある生き方とか…日本にいては気づけなかった『人が育っていく背景の事情』というのを見てきました。
それを含めた、レベルの高い人たちとぶつかりあっていく感覚。そういう人たちと対峙していくことの面白さ。
あの刺激が、自分にはどうしようもなく焼き付いていて。あれぐらいの人生ではないと駄目だと思ったんです。
それを、梱包作業をしながら気づきました。さすがにいくら夢中になれる作業でも、あのモチベーションまでには いたらないと思い、「これは自分で何かやるしかない」と。

現場経験を経て見えてきた、タクシー業界の“果たすべき役割”

近藤さん:とはいえその時残されていた選択肢は、家業である地元民の移動を支えているだけのタクシー会社。でも、 『きっと何か繋がっていく』という根拠のない自信で(笑)とりあえず吉野川タクシーに入社したんですよ。

まずはタクシードライバーとして3年間、現場経験をしました。会社は潰れかかっていたので、自分も一員として タクシーを動かす必要がありました。現場目線でマネジメントをしながら、会社の収支も改善。会社の再建と、 業界への理解を深める作業というのを同時進行で行っていました。

会社の再建には魂を注ぎました。今でこそタクシー業界は盛り上がってきているんですが、当時ドライバーをし ていたら乗客みんなに心配されたほど、業界にはウェットな空気感がありました。「転職しなよ」「もっと人生し っかり考えなよ」なんて言われたり。でもそれは耐えていた、とかではなくて「当然だな」と思っていました。
当時は全体的にサービス精神が低かったんです。そりゃあ、そう言われても仕方ないよな、と。

でもその中で、タクシー業界の“社会の中で果たしていく役割”と“社会の中でひっそりと存在している潜在的 ニーズ”というものに気づいていくんです。地域全体の高齢化が進んでいる中で、免許返納も増えています。
移動機会が失われると人々の経済活動、社会活動、ふれあいの機会がどんどん減っていく。
ドライバーもまた高齢化し、ドライバー自体の数が減ったり、サービスの品質も低下して人々に「タクシーなんて 使いたくない」と思われたりしてしまう。街の人々の機会損失に繋がると強く感じました。

当時タクシーというのは、分岐点を迎えていました。そこで吉野川タクシーとして打ち出したのが『マタニティ タクシー』でした。反響は大きく、会員登録者数もすごく多いんです。それは、お守りというか、保険の一つと してタクシーを選んでくれたということですよね。見せ方を変えると、社会性の高さをアピールできるということ を実感しました。加えてドライバーの教育にも力も注いでサービス水準もあげ、「どうせタクシーをつかうなら、 吉野川タクシーがホスピタリティ高いよね」と思ってもらえるユーザーをかき集める戦術をとっていました。

吉野川タクシーの再建に成功したものの、タクシー業界の“社会で果たすべき役割”はどんどん増えていると感 じていました。「これは、我が社だけの経営が成り立っても仕方がない」と思ったのです。徳島県のタクシーのう ち、吉野川タクシーはたったの1%。残り99%のタクシーがきちんと稼働しないと街の機能が失われてしまう… そこに対しても影響力を与えられる企業を作らないといけないと思ったんです。

“IT”をキーワードにして生み出した電脳交通

近藤さん:マタニティタクシーの会員登録というのは、ウェブサイト経由なんです。そこで、“IT”をひとつのキーワードに したタクシー業界のサービスの底上げ、というのはどうかと考えました。担い手不足の解消や財務的に負担に なっているところを一部アウトソーシングできるしくみを作り、業務を合理化する手段の提供をまるっとできる ような企業があればすごく良いのではないかと。

タクシー業界、いろいろな業務がある中で、これはアウトソーシングしてもいけるんじゃないかというのが タクシーの配車業務でした。お客様の電話を受け取って、ドライバーに伝達して配車していくという作業は、 全国6200社の法人どこも持っている部門。であれば、業務内容も同じです。そして人材不足の問題や、コストを 圧迫している問題だったりとか、悩んでいる課題も一緒でした。課題も一緒でやっていくことも同じなら、 みんなで一緒にやっていったほうが良くないですか? と提案してやったのが電脳交通なんです。
『法人タクシー会社のコールセンター業務を一元管理するソフトウェアを作り、コールセンター部門を我々に アウトソーシングしてもらって運用する』…それが僕たちの最初の商品でした。

どちらかというと、田舎の課題解決策としてこういうものを作ったんですけれども、業界内外から高く評価いただ いています。創業から3年で10府県32のタクシー会社に導入してもらっています。

--都会に出る、という選択肢はなかったのですか?

近藤さん:リーマンショック後サービス業が打撃を受ける中、ITベンチャーには追い風が出てきたわけですが、そういうのは 全部東京の物語なんです。「ITで成功したいなら、東京に行かなきゃだめだよね」みたいな空気の中で、僕も徳島 にいるだけではキツイなと思い、東京で開催されるセミナーや勉強会に参加しました。僕の中で電脳交通の構想は 2010年くらいからあったのですが、それを持って東京に行くと「そんなの東京でやらなきゃダメでしょ」みたい なことを言われる。「東京を拠点にやらないとビジネスとして成り立たないでしょ、田舎でやるなんて絶対ダメだ よ」と、とにかく言われ続けていました。でも僕には、その人たちの言っていることが薄っぺらく聞こえていまし た。というのは、僕自身がインターネットの本質を深く理解していたからなんです。

稼ぐ手段がネット、ネットは儲かるみたいなのはちょっとズレがあると思っています。
インターネットというのは、今まで乗り越えられなかった何かを乗り越えるための手段だと考えています。
どうしても繋がることができなかったものを繋げるためにソーシャルネットワークがあったりだとか。
20世紀型の儲け方とは違うアプローチで成し遂げていくための手段に、インターネットはなると思っていました。

まさに電脳交通がやろうとしていることは、タクシー業界が変えられなかったことを変えるということなんです。
たとえば、『ある法人タクシー会社に配車手配の電話がかかってきて空車車両がいなかった場合、別のタクシー会 社を紹介する』…つまりお客様が電話を掛け直す作業を省くというサービスを10月7日からスタートさせました。
基本的にお客様は今すぐ移動したいという場合が多いので、サービスの品質がある程度保たれていればそれで良い と思う人が大半。その作業を電脳交通がやるということですね。そんなことは昔では考えられませんでした。
『自社の業務は自社内で完結させていく』という前提があり、それをブレイクスルーしていくわけなので。でも、 それこそがインターネットの本質だと思っているのです。

そういうことを田舎で成し遂げるということがインターネットの美しいところだと思っていて。
「絶対徳島でやる」と思っていたんです。それが、徳島に拠点を置いている背景です。

--徳島の地域としての課題は?

近藤さん:徳島に対してすごく強烈に思っていることがあります。それは「このままでは絶対終わる」ということ。
ただ単に人口数が減っているということだけではなくて、県民全体にモチベーションが無いし、 現実と向き合っていない人が多すぎるということです。

現実をみると、GDPは下がっているし、人口も減っている、高齢化も進んでいる。
そして徳島の人みんながソーシャルネットワークとeコマースに仕事を取られている。
消費者は利便性の高い方に流れていくので、徳島での消費自体が無くなりつつあります。それに対して危機感が 無いし、具体的な対策もとらない。これが、モチベーションが全然足りていないということです。

徳島県民の人たちは、とてももったいないことをしていると思います。僕の考え方は基本的に経済に偏っている んですが、商売をする上で『トラフィックが増える』というのはすごく重要なんです。トラフィックが増えるとい うことは、利用者、来場者が増えるということ。徳島の人はトラフィックが増える成功体験を一年に一回、 みんなしているんです。それが阿波踊り。阿波踊りの4日間だけ料金を上げたりだとか、自然とダイナミックプ ライシングとかしているんですよ。需給にあわせて料金を変動させる、近代的なやり方で、ある意味正解だと思い ます。徳島の人は知っているんです、『人が増えれば、商売こんなにポジティブになる』ということが。
それなのに、残り361日の具体的な対策を何もとっていない。
危機感がないことに対して、僕は危機感を持っています。

--徳島の地域としての魅力は?

近藤さん:ポジティブな面でいうと、『目立つ』ということ。何か変えてやろうとする人、前向きなことを言う人は目立つ。
徳島でそういうプレーヤーは少ないから、大都市に比べて埋もれちゃわないと思います。都会だと優秀であっても 埋もれちゃうんですけど、徳島だと「その人じゃないと駄目だ」となる。そうなると嬉しいじゃないですか。

もちろん徳島のことは大好きです。「全国初」作ったものも「徳島初」とか言いまくっていますもん。
全国的な大きな会で徳島をアピールすることで、だれかの胸にささると思っています。
「あ、徳島でもいけるんだ」って。本当に好きならば自分がいなくなった次の世代まで面倒をみるぐらいの気持ち でいないと無責任だと思っています。

--徳島での暮らしはどうですか?

近藤さん:『何をするか』ということを明確にさえしていれば、何も不自由はありません。どういうことをして自分の生活の モチベーションを保つか、何をしたいかがはっきりしていれば田舎でも暮らせます。家も、車も、食べ物も、 都会でも徳島でもあるので。
また、「徳島が田舎で何も無い」というイメージを乗り越えていくためにもインターネットを活用する、 ということも重要だと思っています。

 

--今後の目標は?

近藤さん:経済界のシンボルになることです。徳島でいえば、大塚製薬がありますよね。県外の人からも認知されているし、 県民も「徳島には大塚製薬がある!」と自信を持っている。大塚製薬は強いモチベーションを持っていました、 「100年かけて、徳島を代表して全国、世界に通用する企業になるんだ」という。
そういう存在に、県内では100年間誰もなれなかったんですよ。だから僕たちが100年ぶりにそれぐらいやらな いとな、と思っています。

--移住を考えている人にメッセージをお願いします。

近藤さん:経験をつないでいく、自分が見てきた世界観を大切に繋いでいく、ということがとても大切です。
興味とかビジネスとかいろいろなものを深掘りしていくと、いろいろなことに気づくことができます。
徳島だと、自分の個性を出せる可能性が高いです。
自分にしかできないことをたくさんの人に伝えたいのであれば、意外と田舎の方が良いかもしれないですよ!