移住者インタビュー

Interview

Uターン30代建築・土木上板町

生まれ育った地域で丁寧に家をつくっていく。

多田 豊さん

出身地:上板町

移住年:2011年

現住所:上板町

職業:自営業

取材年月:2016年7月

上板町でプリズム建築設計室を営む建築士の多田 豊さん。東京で大手都市計画コンサルタント会社に勤務していた暮らしに終止符を打ったのは東日本大震災だったといいます。Uターンしてからの思いを中心にお聞きしました。

東日本大震災で決意した上板町へのUターン。

--もともと多田さんは上板町のご出身で、Uターンされてきたということですが、そのきっかけを教えてください。

多田さん:徳島県立阿波高等学校を卒業後、日本大学生産工学部建築工学科、日本大学大学院、そして、大手都市計画コンサルタント会社と、18歳で徳島を出てから、ずっと東京で過ごしてきました。しかし、2011年に東日本大震災が起きて…。あれだけ大きな地震が発生したら、いろいろな価値観がひっくり返ると思っていたんですが、実際はそうではありませんでした。東京電力福島第一原発事故で放射能の問題も懸念されているのに、翌日には東京では普通に電車が走っていたし、学校や会社に通学・通勤する人たちがいて…。さすがにこれはどこかおかしいんじゃないかと強い不安を感じたんです。ちょうど結婚を控えていたこともあり、このまま東京で暮らしていくよりも、自分自身も変わるため、徳島へ戻ろうと決意しました。

--移住するのであれば、ほかの地方という選択肢もあったと思うのですが、徳島を選んだのは、土地勘があるなどの理由なのでしょうか。

多田さん:妻も上板町の出身でしたし、ほかの土地へ移住するのではなく「徳島へ帰る」ことは、僕にとっては自然な流れでした。また、東京にいるときから“HIP(Home Island Project)”という「四国を愛する人のネットワーク」に参加していたので、徳島へ戻ってからも、同世代のメンバーたちとのつながりがあるので、東京で暮らしていた頃から培ってきた価値観や経験を共有できる人々がいるという心強さもありました。とはいえ、それまでの東京での生活を終わらせなければいけないわけですから、すぐにUターンへの行動はできなかったのも事実です。

--移住に関しては、どうしても「住むところ」と「働くところ」が問題になりますが、Uターンでもそういった難しさはありましたか。

多田さん:正直「住むところ」に関しては実家があるので助かったと思っています。それから「働くところ」に関しては、もう都市計画コンサルタントはちょっと…と考えていたので、最初は徳島県の職員になろうかと考えていたんです(笑)。父が経営している設計事務所を一緒にやっていこうと決心したのは、その試験に落ちてからなんですよ。でも、都市計画や不動産関係の資格は持っていたんですが、肝心の建築士の資格を持っていなくて。必死で勉強しましたが、当時は建築不況でしたから、食べていくことができるか、将来への不安はありましたね。

移住してわかった良さと移住者との関わり方

--上板町へ移住してきてからの苦労があれば教えてください。

多田さん:これは上板町だからというわけではありませんが、以前の自治体から請求された住民税が結構な金額で驚きました。都会から移住する人の大半がそうだと思うのですが、収入は一時的にせよ、下がるはずなんですよ。そこで高額な住民税を払わなければならなくなるのはキツかった。これから移住される方は注意してほしいですね(笑)。それから、これも上板町に限った話ではなく、小さなコミュニティーにありがちなことですが、新聞やテレビに出ると、妬まれて大小のバッシングを受けることも…。そこは何とか突き抜けていくしかないですね。後は映画館などの文化的な施設が少なかったり、繁華街までの距離があることでしょうか。

--上板町にUターンしてきて良かったと思うことは何でしょう。

多田さん:都会と比べると生活にお金がかからないことですね。自分の家で有機栽培している野菜も美味しいですし、安全な食べ物が豊富に手に入るのは、子育て世帯には嬉しいポイントだと思います。隣家との距離もあるので、広い家で伸び伸びと暮らすことができるのも都会とは異なる点ですね。豊かな自然の中で暮らす気持ち良さは格別のものがあります。近所に住んでいる子供たちの顔も全員わかりますし、逆にうちの子供たちの顔も近所の誰もが知っていてくれている。地域全体で子供を育てているような感覚は、やはり得難いものだと感じています。

--なるほど。多田さんは建築士として活躍される傍ら、移住者との関わりもあるとお聞きしています。たとえば、どんな活動をされているのでしょうか。

多田さん:代表的なところでは、四国経済産業局が四国4県の若者をつないだ“かえとこ四国プラットフォーム”という人材プラットフォームがあるのですが、ここの仲間たちと今年の年始に『新春シコクゾメ ~ 四国のみんなの新年会』というイベントを阿波市で開催しました。四国4県の地域おこし関係者などが県内外から200名ほど集まったんですよ。2013年から毎年行われているのですが、徳島県での開催は初めてのこと。農家や酒造場をはじめ、特定非営利活動法人(NPO)など、44団体がブースを出展して大いに盛り上がり、移住希望の方と地域がつながるきっかけとして、一定の役割を果たすことができたのではないかと思います。

--本業である建築士としても移住者の方と関わるケースが多いように見えます。

多田さん:そうですね。県内各地で移住者の方が集うような場所づくりに建築士として関わることも増えてきました。たとえば、美馬市脇町の築125年の古民家で産直野菜と雑貨を扱っている複合ショップ「フナトト」の改修、三好市の旧出合小学校の一部を簡易宿舎として改装した「ハレとケホステル」などは僕の仕事になりますね。それから、移住希望者の方が空き家などを探す際、そこが安全に住むことができるかどうかなどの診断やサポートも行っています。こうした取り組みは、やはり徳島での出会いから生まれた機会であり、ある意味「仕事であって仕事でない」ような部分もあります(笑)。自分でも取り組んでいて楽しいですしね。

自分の知識や技術で移住者の支援をしていく

--都市計画コンサルタントを経て建築士へ転職した多田さんにとって、地域の居住に関する事情はどのように映っていますか。

多田さん:徳島の郡部は二世帯同居が目立つように思います。農家をはじめとして自営業の方も多く、子育て期間中でも共働きが難しいなか、祖父母の助けが得られるという点で、それが当たり前なのでしょう。僕自身も二世帯同居なので設計するときは、気持ちがよくわかります(笑)。また、新し物好きも多い反面、古民家を改修して住み続けるなど、歴史のある建物を大切にしながら歴史をつないでいる層もいるような気がしますね。また、地方創生で地域の空き家に移住者を迎える事例が増えていますが、できるだけ詳細な調査をした上で新しい人に貸し出すような配慮が、もっと必要になっていくと思います。

--ますます建築士としても必要とされていくと思いますが、これからはどのような活動をしていきたいとお考えでしょう。

多田さん:徳島の建築のレベルは全国的に見ても、決して低いわけではないんです。特に天然乾燥や伝統工法に関しては注目すべきだと思いますし、建築そのものへの関心も高いのではないでしょうか。たとえば、プリズム建築設計室では、家づくりを考えている方に、自分の住まいを建築士任せにしないため、僕が考案した『博士の家づくり講座』を受講してもらい、ともに一軒の家を建てています。また、移住者の方などの要望として増えてくるであろうリフォームの場合は『SUMICATA講習』などを行い、工事をする前にちょっとした工夫で改善できるポイントを知ってもらうことも考えています。どんどん多様化していく暮らし方や住まい方の中で、徳島が選択肢の一つになる。そういう方々のサポートができればいいなと考えています。