柘植竜治さん
出身地:岐阜県
移住年:1999年
現住所:松茂町
職業:プロサッカー指導者
取材年月:2016年2月
徳島ヴォルティスの前身である大塚製薬のプロサッカー選手として活躍していた柘植さん。選手引退後は指導者や普及担当として、縁の下から徳島のサッカー界を支えてきました。サッカーが秘める地域おこしへの可能性と、選手時代から住み続けてきた松茂町への思いを伺いました。
プロサッカー選手から、支える立場へ。
--プロサッカー選手として徳島にやってこられたそうですが、柘植さんとサッカーの出会いはどのようなものでしたか?
柘植さん:小さい頃に「キャプテン翼」という漫画の主人公に憧れて、近所のお兄さんと公園でよくサッカーをして遊んでいました。当時から、プロのサッカー選手になることが夢でしたね。小中学校と夢中でサッカーを続け、サッカーの強豪校だった岐阜工業高校から鹿児島県の体育大学へ進学。その後、大塚製薬でプロサッカー選手としての第一歩を踏み出しました。
--徳島での選手生活を振り返って、いかがですか?
柘植さん:ポジションはセンターバックで、ヘディングには自信を持っていました。当時は今のJ3にあたるJFLというリーグで戦っていたのですが、右脚の小指に怪我を負い、ボルトを入れながら何とか戦っているような状況でした。結局、選手生活は2年で終わったのですが、その時に当時の部長が「コーチにならないか?」と声を掛けてくださったんです。まだ24歳だったので、選手生活への未練もありました。でも「ここで自分の人生をもう一回変えよう」と覚悟を決め、徳島で指導者としての道を歩む決意をしたんです。
サッカーファンの底辺拡大を目指して。
--引退されてから現在まで、どのような役割を担ってこられたのですか?
柘植さん:現役を引退した後しばらくは、セレクションで合格した小中高校生たちの指導を担当していました。今で言うアカデミーの指導です。6年ほど前に普及コーチに任命され、昨年からはホームタウン推進部のリーダーとして、徳島のサッカーファンの底辺を広げるための取り組みを行っています。たとえば、幼稚園や小学校などを対象に巡回サッカー教室を開催し、年間で約1万人の子どもたちとふれあっている活動も、その一つ。そこでサッカーに興味を持った730名ほどの子どもたちが、県内各地のサッカースクールに参加してくれています。
--2013年にはプレーオフを勝ち抜いて四国初のJ1に昇格しましたが、柘植さんたちが続けてきた地道な取り組みが、徳島のサッカー界を支えているんですね。
柘植さん:そう言っていただけると嬉しいです。徳島ヴォルティスは、プロのサッカー選手を目指す子どもたちに夢や希望、そして感動を与えられる存在だと思っています。また、サッカーは中高年の方にとっても、プレイヤーとして、またはファンとして、毎日の生きがいにしていただける可能性を秘めている。徳島ヴォルティスが、徳島で暮らす人々の元気印になればと思っています。
陸路も空路も、快適です。
--選手時代から松茂町で暮らされているそうですね。
柘植さん:はい。以前はメゾネットタイプの賃貸アパートに住んでいたのですが、2年ほど前に同じ松茂町内に一戸建てを購入しました。ここは、本当に暮らしやすい場所ですね。子どもが2人いるのですが、近くには月見ケ丘海浜公園があるので遊ぶ場所には困りません。大型の遊具だけでなく、バーベキューサイトや宿泊用のコテージもあるので、町外からも多くの家族連れでいつも賑わっています。近くには海や川もあるので、休日には釣りに出掛けたり。息抜きをするにも、何かと便利な場所です。
--最近では、高速道路に松茂スマートICも開通し、アクセスもより便利になりました。
柘植さん:松茂町には徳島阿波おどり空港もあるので、陸路も空路も本当に便利です。さらに、国道沿いには高速バスが発着する「とくとくターミナル」もあるため、自家用車から高速バスに乗り換えて近畿や関東方面に出掛けることもできます。ほかにも、きれいな図書館があったり、松茂美人と名付けられたおいしいサツマイモがあったりと、自慢したいことがいっぱいあります。
--ずっと松茂町で住み続けられている理由が、少し分かったような気がします。今後の目標を教えてください。
柘植さん:やはり、サッカーの楽しさや面白さを一人でも多くの人に伝えていくことが一番の目標ですね。地域の悩みや課題を受け止め、徳島ヴォルティスのサッカーを通して少しでも元気な徳島づくりに貢献できれば。「薬よりもスポーツの方が心身共に元気になれる」というお医者さんもいるぐらいです。私自身も、スポーツの力、サッカーのボール1球の力を信じながら、サッカーの魅力を徳島全域に広げられればと思っています。