倉科智子さん
出身地:神奈川県
移住年:2015年
現住所:美馬市
職業:地域おこし協力隊
取材年月:2015年11月
美馬市の山間部にある重清北小学校跡地での交流促進簡易宿泊施設「山人の里」。神奈川県から移住した倉科さんは、ここで地域おこし協力隊として働いています。「毎日が驚きの連続」と笑う彼女に、移住への経緯と美馬市の魅力について聞いてみました。
自分の仕事と生活を見直すタイミングでした。
--倉科さんは地域おこし協力隊として美馬市へ来られたそうですね。
倉科さん:何年か前から自給自足の生活にすごく興味があったんです。横浜に住んでいたときに持続型農業である「パーマカルチャー」のワークショップに参加したんですが、そこで美馬市が地域おこし協力隊を募集しているお話を聞いて。ずっと海沿いの街で育ったせいか、いつかは山の中で暮らしてみたいという願望があったので「あっ、行ってみたい!」と思ったんです(笑)。その直感に従って移住の準備を進めていったので迷うことはなかったですね。
--ジュエリーデザイナーのお仕事をされていたそうですが、影響はなかったですか。
倉科さん:そうですね。どこでもアクセサリーはつくることができますし、横浜でなければ困るということもありません。今は美馬市で地域おこし協力隊としての暮らしが始まったばかりですから、少しだけ残った在庫を販売したり、常連さんからのオーダーだけを受け付けて、気長に完成を待ってもらっている状態なんですよ。ここ数年で少しずつ自分の仕事と生活を見直して、心身ともに身軽になりつつあったことも、スムーズな移住ができた理由の一つですね。
--自分の仕事と生活を見直して身軽にしていく。何がきっかけだったのでしょうか。
倉科さん:生まれ育った神奈川県を離れて、別の土地へ移りたいという漠然とした気持ちは、ずっと心の中にあったんです。大きなきっかけの一つは、やっぱり東日本大震災が起きたことですね。自分のライフスタイルに対して「これでいいのかな?」と疑問を持って、実際に行動に移す人が増えたんじゃないでしょうか。ちょっと前に流行った“断捨離”じゃないですけれど、自分にとって不要なものを手放して、本当に大切なものだけを手元に置いておく。自分が口に入れる食べ物がどこでつくられているのかを知る。そして、どこで暮らしていくべきかを考える。当時を振り返ってみると、そういうタイミングが来ていたのかなと感じています。
地元の人があきれるほど、毎日が驚きの連続です。
--実際に移住する前に美馬市へ足を運んでみましたか。
倉科さん:いいえ。四国初上陸が移住の日でした(笑)。本当は事前に行くつもりだったんですが、車の運転免許を取得し直したりしていたら、そんな時間もなくなってしまって…。最初は「山の中の一軒家で憧れの田舎暮らしをしたい!」と思っていたんですよ。それで美馬市の担当者の方に相談したところ「都会から来た移住者がいきなり山の中で冬を越すのは無理」と説得され、市内中心部に住むことになりました。本格的な冬になると道も凍結してしまいますし、こちらで暮らしはじめた今となっては、その判断に従ってよかったなと思っています(笑)。
--移住して約半年くらいになりますが、予想と大きく違っていた点を教えてください。
倉科さん:地域の方が自分の行動をよく知っているのはびっくりしましたね。「昨日は朝早くからどこへ行ったんだ?」とか「この間、一緒にいたのは誰だ?」とか(笑)。誰もが助け合って暮らしているため、それが普通なんだと思いますが、最初は距離感の近さに戸惑うことも少なくありませんでした。ただ、人と人との距離が近いため、助けてもらいやすいですし、地域の方が「いつでもサポートしようとしてくれている」というのは実感しています。それから、一人で何でもできるのが当たり前ですね。都会で自給自足を夢見ていた自分が恥ずかしいです。自然の中で暮らしていくためには知識も必要で、どんなときもさらりと行動できる地域の人は素敵だなと尊敬しています。よく「おまえは何でも驚くな」と周囲の方から笑われるんですけれど、たとえば、イノシシを仕留めた猟師さんの軽トラックの荷台が血だらけだったりすると、私じゃなくても驚くんじゃないでしょうか(笑)。
--地域おこし協力隊としては、どのような活動をされているのでしょう。
倉科さん:普段は小学校交流促進簡易宿泊施設「山人の里」のPRやイベント企画を含めた運営業務を行っています。地域おこし協力隊の任期は3年間ですから、地域を盛り上げるための活動をしながら、自分自身の暮らしのベースを固めていきたいと思っています。外から来た移住者として、雄大な自然をはじめとする魅力をどのように伝えていくか、毎日の生活を通じて、まだまだ勉強することばかりですが、ぼんやりと「自分にできること」が見えてきたような気もしています。
地域の人と少しずつわかりあっていきたい。
--地域の魅力をどのように発信していくかが決まったということですか。
倉科さん:外から来た私から見ると、美馬市の「食」のポテンシャルって、ものすごい可能性を秘めているんですよ。たとえば、蜂蜜はその一つです。昔ながらの養蜂をされている方が何人もいらっしゃるので、純粋で質の良い非加熱の蜂蜜が手に入りやすい環境ですし、新鮮なブルーベリーもシーズンになると、びっくりするくらいリーズナブルに販売されています。ただ、どちらもほとんど地元でしか消費されていないんですね。このあたりで収穫される青唐辛子の「三頭漬」という昔ながらの発酵食品も絶品なんですよ。私はオーガニック系の自然食品などを扱う関東のお店とつながりがあるので、こうした美馬市の食品を紹介する会社「シェア・オーガニカ」を立ち上げたんです。まずは「食」を通して地元の良さを伝えていきたいですね。
--理想の生活を夢見て地方へ移住してみたものの、地域の人々と馴染めないというケースもあるといいます。そうした事態を避けるためには、どうすればいいと思いますか。
倉科さん:理想と現実とのギャップはどこへ移住しても存在するのではないでしょうか。実際に私が体験して感じたのは、地域の人と同じような感覚を持って、いきなり同一化するのは無理なんだということ。生まれ育った環境が違うし、地域ごとのルールがありますから、考え方や行動と相反する部分が出てくるのは当たり前なんですよね。ただ、そこで意地を張って自分の我を通してしまうと大きなストレスにつながっていってしまいます。違いは違いとして正直に受け入れて、くよくよ悩まない。ぶつかってしまったときも翌日には持ち越さない。家族だってお互いにすべてを理解できているわけではないでしょう。少しずつ歩み寄っていくことで、ある程度は移住が失敗するという残念なケースは防ぐことができるのではないでしょうか。
--これからやっていきたいのはどんなことですか。
倉科さん:オフグリッドのエコハウスをつくって、小麦や雑穀、ハーブなどを育てる農業体験宿泊みたいな活動はやってみたいですね。このあたりは民泊も盛んな地域なので、イタリアのアグリ・ツーリズモみたいになれば、もっと美馬市が面白くなるはず。それから、これから増えるであろう移住者と地元の人を結びつける役割も担っていきたいなと考えています。