移住者インタビュー

Interview

Iターン30代建築・土木阿波市

阿波市は、みんなが応援してくれる町なんです。

高橋 利明さん

出身地:大阪府

移住年:2001年

現住所:阿波市

職業 :TTA+A 高橋利明建築設計事務所、WEEKEND TAKAHASHI STORE経営

取材年月:2017年3月

大阪出身の建築家。週末オープンする雑貨店店主。地域のイベント仕掛け人・・・さまざまな顔を持つ高橋さん。思ったことを臆さず口にし、思いついたらすぐ行動に移す。そんな嘘の無い姿勢と茶目っ気たっぷりの笑顔でたくさんの人を巻きこみ、徳島に、阿波市に、新しい風を送り込んでいます。

建築はきっかけづくり。主役は風景です。

--はじめまして。高橋さんの作品第1号は、上勝町の『カフェ・ポールスター』と伺いましたが。

高橋さん:建築家のデビューというと、通常は友人の家の設計からスタートすることが多いんです。ところが、僕は大阪出身で、でも徳島で独立して。徳島に仕事関係の知人はいるけれど、友達はほとんどいない。どうやって自分をアピールして仕事を得たらいいんかなと考えて、まずは「いろんな人と知り合おう」とFacebookを始めたんです。それがそもそものきっかけで。

それまでは仕事ばかりの日々だったので、長く住んでるのに徳島のことあんまり知らないなぁと思って、Facebookで知り合った人達と、現地の人に町を案内してもらうツアーを組んであちこち行ってた時期があるんです。そこに住んでる人に案内してもらうと、観光パンフレットを見ながらの観光では得られない面白さがあるんです。

そのツアーで上勝に行った時に、後に『カフェ・ポールスター』オーナーとなる東輝実さんと出会ったんですが、実はその前に彼女のことを知ってたんです。

以前『上勝TV』(上勝町公認のネット配信番組)を見ていたら「カフェをオープンするんです」と言う女性が出ていて。自分の生まれ育った上勝で、かっこよく仕事をすることで上勝の魅力を伝えたい、と熱く話していたのが東さんだったんです。

実際にツアーで出会ったとき「ここにお店をオープンするんです!」と東さんが指し示した場所にはまだ建物が建っていなくて「あれ?」と思いました。その番組放送からずいぶん経ってたんですけど、水道のひきこみの問題で工事がストップしていたんです。

最初は設計ではなく、家具や器のアドバイスでお店に関わるようになりました。

東さんのお母さんは上勝町のゼロウエイスト活動をはじめた、パワフルな方なんですが、ある時から打ち合わせに同席されるようになり「高橋くんならどんな建物がいいと思う?」と聞かれて。そこで提案したデザインが採用してもらえることになったんです。

--そうだったんですね。設計のコンセプトはどういうところでしたか?

高橋さん:建築はきっかけづくりなんです。主役はあくまでもそこで働く人と上勝町の景色。その建物があることで周囲の景観をより引き立たせる、そんな建築物にしたかった。それが、住む人達にも、よそから訪れる人にも上勝の良さを再認識させてくれると思うんです。
店内に入るとすぐに上勝の自然がダイナミックに目に飛び込んでくるよう、手前が低く奥の天井が高くなる三寸勾配の片流れ屋根を採用しました。そしてオープンキッチンが、かっこよく働くオーナーの姿を見せつつ、訪れる人との会話が自然と生まれる空間を演出しています。

マグカップひとつでも、暮らしの中に楽しさが生まれる。

--高橋さんは、建築家である一方、こちらのお店(WEEKEND TAKAHASHI STORE)の店主でもいらっしゃるんですね。お店を出されたきっかけは何だったんでしょうか。

高橋さん: 建築を仕事にするにあたって「人の暮らしを今以上に豊かにしたい」という気持ちがあったんです。でも、家を建てる人しか暮らしを豊かにでけへんの?そんなことないやん、て。例えばマグカップひとつ買うことで暮らしの中に楽しさが生まれたり、自分の好きな物に囲まれることで幸せを感じられる。そういうところはモノでも建築でも一緒だと思うんです。

それとね、建築家って普通に生活している中で関わることないでしょ。どんな人か知らんのに家の設計頼むって、ハードルめっちゃ高いじゃないですか。なので、ここで僕の好きなものや考えを発信して共感を得られたら。そこから自分の家づくりのスタイルをPRしていくこともできるんちゃうかな、と。

--そういうことだったんですね。高橋さんが徳島に来ることになったきっかけを教えてください。

高橋さん:徳島の建築家に弟子入りすることになったのがそもそものきっかけです。
子供の頃は、料理人になろうと思ってたんですよ。お笑いやりたいと思ったこともありましたね、大阪ですし、目立ちたがりやったんで。建築を勉強することになったのは、ひょんなきっかけなんです。
中学3年の入試間際に、友達が工芸高校のパンフレットを見ててですね、「映像デザイン」「プロダクトデザイン」「建築デザイン」とか紹介されているのを見て「かっこいい!!」て思っちゃったんですよ。「僕、ここに行く!」って(笑)。「絶対無理」「やめとけ」って周りの全員に反対されながら受験して、一般試験でなんとか合格しました。

--それは・・・すごいですね!

高橋さん:でも、入ったものの、建築の勉強、嫌いだったんですよね~。受験に実技試験とかもあるような学校だったので、入ってきてるのは家が工務店だったり、親が建築家だったりというような生徒が多くて、入学した時点ですでに大差がついてるんですよ。面白くないでしょ。全然ついていけませんでした。
卒業後は同じく大阪市立の専門学校に行きました。建築はもう嫌だったんで、プロダクトデザインを志望したんですが、なぜか建築デザインで合格していて。「嫌や~」と思いながら通いました。毎週のように課題提出があって、ほんま大変でした。でも、一度すごく褒められたことがあって。そこから急に楽しくなったんです。

卒業後は神戸にある作庭の会社に入社しました。
大阪の下町とか、狭小地に住んでる人達を見ると、みんな家の前にプランター並べて植物育ててるんですよね。それはもうね、ほんまにどの家もなんです。どんな暮らしをしていても人は生活の中に、自然とのふれあいを求めてるんやな、と思ったんです。モダンな建築も素晴らしいけど、自然と調和するデザインがしたい、そこが自分が勝負できるところやと思いました。
有名な賞を獲るような会社だったんですけど、受賞を目的にしている感じとか、ノルマとかに違和感を覚えて。ここで3年勤められる気がしないな、と3日で辞めました。

--えー!3日ですか

高橋さん:決してその会社が悪かったわけではないんですよ。今では、ノルマとかも必要だったり、賞を獲ることでアピールできるものがある、ということも理解できるんですが…若かったんですね。
その後は文具会社のベンチャー事業のオープニングスタッフとして働きましたけど、そこも続かなかった。楽しかったんですけど、自分がやりたいことではないな、と思ったので。
辞めてから、九州を旅行して周ったんです。その時に、いい建築をいっぱい見て、刺激を受けて。「ああ、やっぱり建築をやりたい」と思いました。

学生の頃、徳島に拠点を持つ建築家が講演に来られてて。自然建築を行っている事務所だったんですが、もう、自分が目指している建築の更に上を見せられて「わ~、やられた」と思いました。そこで夏休みにバイトをしていたことがあったんです。建築の勉強をするならここしかない、「働かせてください!」とお願いしたところ「あんまりお給料払えないけど」と引き受けていただいて。すぐ徳島に来ました。
バイトとかけもちしながらで大変でしたが「とにかく3年頑張ろう」と。でも、3年経ってもまだまだだな、と思って「5年まで頑張ろう」。そうしているうちに、だんだん現場を任されるようになっていきました。プライベートも充実していて、さあこれから!というタイミングで事務所の経済的な理由で仕事を辞めることになってしまいました。
とりあえず、それまでに培った人間関係を頼ってあちこちから下請けの仕事をいただきながら、独立への道を模索しました。
独立するにあたっては大阪に帰ることも考えたんです。でもね、僕が徳島にいた間、数ある建築家達の仕事によって何か徳島は変わったかな、誰かの暮らしが豊かになったんかな、と考えたら「あかん!何も変わってないやん!」て。それで、徳島でやらなあかんと思ったんです。

--それで徳島に残る決心をされたんですね。事務所を阿波市に構えた理由は?

高橋さん:事務所を構える段階で、みんなから、もう本当に全員から「絶対、徳島市内だよ」って言われたんです。でも、え?みんなが徳島市内で事務所構えて仕事請けてるんやったら、逆に地方はガラ空きやん!と思って(笑)。阿波市にしたのは、たまたまです。いい物件との出会いがあって。でも、家の横に菜園を作って、土をいじりながらの生活をして…そういう気持ちのゆとりというか、自然との距離感みたいなものが、設計にも反映されるんですよね。阿波市にしてよかったと思っています。とっても贅沢な環境です。

デザインの力で、しっかりストーリーを伝えていきたい。

--現在、阿波市の移住パンフレットの作成にも関わっているとお聞きしました。

高橋さん:行政の刊行物とかってダサいでしょ。予算ありき納期ありきで、本当に伝えたいことは二の次になっている。僕はデザインが人の心に訴えかける力って、大きいと思ってるんです。なので観光協会の方とかにもずっとそれを言い続けてたんですよ。そしたら「そんなん言うなら作ってよ」となって。もうね、めっちゃ嬉しいんですよ。自分で先頭切ってやらんかったら「文句言うだけの人」になってしまうでしょ。こういうチャンス作ってもらってほんま、感謝してるんです。
『WEEKEND TAKAHASHI STORE』で商品を扱っている福井のデザイン集団「TSUGI」に、阿波市に来て実際に生活を体験しながらパンフレットのデザインをお願いすることにしました。「デザイナー・イン・レジデンス」です。実は彼らも大阪から福井に移り住んでいるんですよ。移住者の目線を持っているので、阿波市のいいところを引き出してもらえると思っています。

--素敵なデザインだと、思わず手に取りますもんね。

高橋さん:そうなんですよ、見せ方って大事でしょ。阿波市の人ってねえ、みんな生活に変に困ってないというか、人がいいというか「こんないいもの、こんな安くていいんですか」みたいなのが多くて。野菜とかね、本当、美味しいんですよ。それだけでももちろん価値がある。でも、例えばそれにデザインをからめて、加工品にしたり、販路開拓したりすることでブランディングできるわけですよ。価値を高める力がデザインにあるなら、それを使ったほうがいいじゃないですか。
何もかも自分たちでするんじゃなく、要所要所をプロに任せることで、みんなから認められる、うんと素晴らしい物になると思うんですよね。

--高橋さんから見て、阿波市の良さはどういうところですか。

高橋さん:チャレンジできる町、ですね。失敗しても大丈夫。みんなが応援してくれる町なんです。
普通ね、田舎に行けば行くほど排他的になると思うんです。「こんな田舎」と言いながらもプライドだけは高かったり。でも阿波市はそれがないんですよね。みんな阿波市が好きで、どうにかしないと、という意識が高い。

今は町おこしがブームみたいなところがあるけど、そのブームが過ぎても移住支援をしていけるかどうかは、その地に住む人達にかかっていると思います。ヒーローがピューっと飛んできてズバッと解決、なんてしてくれないでしょ。みんなが自分の力を活かして、楽しみながら取り組めることが大事だと思います。今まで先陣きって活動してくれている人たちの知恵やコミュニティを活かして、その火を絶やすことのないよう、みんなで協力しあいながら。僕もそこに関わっていきたいと思ってます。
見渡すと、盛り上がってる地域って若者の力が大きく働いているんですが、阿波市はそれが少ない。移住者も住民も、若い世代に関わってもらって、一緒にワクワクすることをやっていけたらいいですね。