会長 殿谷加代子さん/ミュージカル脚本 蔭岡美恵さん
もんてこい丹生谷運営委員会
取材年月:2016年5月
平成20年、ノンフィクション作家の荘田智彦氏が取材で那賀町を訪れた際に、老親が都会へ出て行った子供たちに「帰って来て欲しい」と思いながら、それを口に出せない状況を見て、「帰ってこないなら、こっちから押しかけて行こうよ」と提案。住民の思いを間近で感じていた保健師が中心となって「もんてこい丹生谷運営委員会」を立ちあげ、翌年6月、ふるさと回帰を呼びかける「もんてこい丹生谷那賀町祭&中野建吉写真展in品川」を開催した。その企画をきっかけに、自分たちの思いを伝える手段として選んだのはミュージカル。故郷の人々が呼びかける切なく、あたたかい「もんてこい」という声に共感の輪が広がっています。
伝えたい人に伝えたいことを伝えるため、“もんてこいミュージカル”が誕生しました。
--「もんてこい」とは「帰っておいで」という那賀町一帯を指す丹生谷地区の方言ですが、今では那賀町への移住を促すスローガンとして定着してきたように思います。ふるさと回帰を呼びかけるミュージカルという手法も斬新ですね。
殿谷さん:平成20年4月にノンフィクション作家の荘田さんが過疎化、高齢化の進む町の保健師の取材で那賀町に来てくださったことが活動のきっかです。当時、町を出て行った子供たちは「帰りたいけど仕事がないから帰れない」、「山や畑もいらない」と、盆や正月もほとんど帰ってこない状況でした。忙しそうにする子供に遠慮して親達も「もんてこい」とは言い辛い雰囲気がありました。
蔭岡さん:那賀町の住民の約半数が高齢者、その中の3割が一人暮らしです。そのため人ひとりいなくなるだけで、家が一つ無くなってしまう。「家も、畑も田んぼも、もったいないな」って思いつつ、「しょうがない」ってあきらめていたんです。でも荘田さんが「そんなでいいんか?保健師は住民相手に仕事してるのに、住民がいなくなって仕事できるんか?」って言われて。「でもそれは担当課の仕事でしょ。私たちがすることじゃない」って思いましたが、一人暮らしのお年寄りは体調崩すと看病してくれる人がいないんです。当時“Iターンで賑う町”とマスコミで話題になる自治体もあったんですが、高齢者が待っているのは自分の娘や息子、その家族。その思いを間近で感じている保健師が中心となって「もんてこい丹生谷運営委員会」が発足しました。
--東京・品川で開催されたイベントには那賀町から大型バス2台で向かわれたそうですね。来場者も300人にも上ったとか。その時からミュージカルを?
蔭岡さん:品川の時は20分くらいの短いお芝居でした。郷土料理のふるまいや、人形浄瑠璃の公演、ビデオレターなどほかにも色々な企画があるうちのひとつだったんですが、その次の年、「もんてこい丹生谷那賀町祭」を地元の相生体育館で行うことになり、「広い会場ではミュージカルのように歌とダンスを入れないとメッセージが伝わらない」と考え、2回目からミュージカルにしました。
--奇抜な発想ですね。
蔭岡さん:私は看護学校を出ただけで、演劇の経験も知識もまったくなかったんですが、「ミュージカルにしよう」と言った手前、どうにかしないといけないと思って、Uターン、Iターンした人達に話を聞きに行き、無我夢中で脚本を完成させました。初めての稽古で、みんなが声に出してセリフを言ってくれた時は、感動しました!文字が起き上がるってこういうことなんだなって。
--昨年までで上演回数は17回になります。
蔭岡さん:普通、ミュージカルは見る人を限定できないけれど、“もんてこいミュージカル”は「東京に住む那賀町出身者」というように、見てもらいたい人が決まっているので、見ていただくお客さんによってテーマや内容を変えていることも長続きした要因かもしれません。公演が決まると週に2回くらい練習します。みんなで助けあって作っている熱意が伝わるのか、舞台を見てくれて人が「私も息子にもんてこいって言うてみよう」って言ってくれたり、“人の気持ちが動いた”という手ごたえを感じる瞬間があります。平成22年に木頭で凱旋公演を行った時、来場者アンケートの「帰って来て欲しい人はいますか?」っていう問いに、「80代・女性」が「息子に帰って来て欲しいです」って涙で流れるような字で書いていて。それを見たら「この人たちのために、頑張り続けないといかんな」と思いました。励ましの声ばかりでなく、「もんてこい言うたって、仕事もないのに無責任な」とか「好きなことして」っていう批判もありますが、見てくれた人が一人でも二人でも子供に「もんてこい」という勇気をもってもらえたらいいなと思います。
仕事や住まいが問題なんじゃない。子供達が望んでいるのは、人と人との繋がりが残る“住みやすい町”。
--現在、ミュージカルによるふるさと回帰の呼びかけと移住支援との2本柱で活動をされていますが、今年度はどんな活動を予定されていますか?
殿谷さん:これまで東京、大阪、大分など外へ呼びかけに行くことが多かったんですが、地域の人にも私たちの活動を理解してもらい、住民一人一人が子供たちに「もんてこい」という言葉を発して欲しいと願い、今年は10月に行われる那賀町祭りを“那賀町もんてこい祭り”とし、基調講演やUターン、Iターンした人を交えたパネルディスカッションを予定しています。関東、関西のふるさと会にも声をかけ、その時期に帰って来てもらい、那賀町で同窓会をしてもらおうとも考えています。
--ふるさと会とのつながりが強いのも那賀町の特徴ですね。
殿谷さん:ふるさと会はもんてこいの活動がきっかけで誕生したんです。品川や大阪に来てもらったうちの約400人の名簿をもとに、那賀町近畿ふるさと会、関東ふるさと会が結成され、毎年ふるさと会総会も行い、都市と地域を結ぶ架け橋となっています。
--そうだったんですね!そうしたみなさんの尽力もあって、今では「もんてこい」と言いやすい風土が育ってきたように思います。
殿谷さん:そうですね。確かに少しずつ意識が変わってきたように思います。那賀町ケーブルテレビで「故郷を愛する心」をテーマにした子供弁論大会が放送されているんですが、それを見ていると驚きますよ。「那賀町はいいところがいっぱいある。進学して県外へ出ても帰ってきたい。那賀町、大好き!」とか「将来は那賀町に戻ってきてボランティア活動に取り組みたい」など、子供ながらに「那賀町をどうにかしないといけない」っていう気持ちがひしひしと伝わってきて、町の広報にも今年度那賀町に就職した子たちのインタビューが載っているんですが、「大好きな那賀町へ戻って来れました」って14人中8人が書いている。成人式でアンケートをとっても「那賀町へ帰って来たい」という人の割合が増えていて、これも私たちの活動の成果だと言ってくれる人もいます。
蔭岡さん:成人式でも“もんてこいミュージカル”のショートバージョンをやったんですよ。
殿谷さん:そしたらみんな「帰ってきます」って言ってくれて。やっぱり子供ですよね。これからのこの町を支えてくれるような子供たちを育てていかないと。そういう子供たちの声が聞こえてくるようになったのはすごいな、と思います。人と人との繋がりや自然の良さを素直にいいと感じ、地元を愛して、地元に戻ってきたいと言ってくれている。これで目的はもう達成できたと思うんやけど(笑)もんてこい、もんてこい言い始めてからIターン、Uターン含め220~230人が那賀町に帰って来てるんですよ。
--それはすごい成果ですね。
殿谷さん:大人たちはすぐ、「帰ってくるには仕事がないと」って言うけど、鷲敷や相生あたりなら仕事は阿南へ通ったらいい。子供達が望んでいるのは“住みやすい町”なんです。
蔭岡さん:“住みやすい”っていうのは、その土地で育った子でないとわからない地域の良さだと思うんです。自分が大事にされた、愛されたという経験や人の繋がり。それがないと帰ってこようとは思わんだろうな、と。そうした地域づくりが、この事業を成功させていくように思います。
殿谷さん:一時、そういうことがすっとんでた時代があったんです。勉強して勉強して、どんどん都会へ出て行きなさいって。ちょうど私と同じ団塊の世代くらい。それが幸せだと思っていたから、子供達に「もんてこい」とはあまり言ってない。
--実際に戻る戻らないは別として、「もんてこい」の一言が「気にかけてくれている」「頼られている」と感じ、離れて暮らしていても地域の一員であると思えたり、身近な人の「もんてこい」に救われることがあるように思います。
殿谷さん:そう!気持ちなんです。故郷との繋がりを忘れないで欲しいという思いです。「もんてこい」はお盆でもお正月でも、墓参りでもなんでもいい。とにかくもんてこい。もんてきて町の現状を見てください。そこで考えて欲しいという「もんてこい」だったんです。ある意味、私たちの活動は先走りすぎていたのかもしれませんが、現在の那賀町は林業にも力を入れているし、仕事や移住支援も以前に比べるとだいぶ整ってきて、受け入れの間口は広がっています。だから言わんよりは言った方がよかったかなと思うし、その土地の方言で、地元の人たちが行うミュージカルが、那賀町出身者の心に一番届くんでないかなと思います。
蔭岡さん:ミュージカルの最後に子供達が歌う「もんてこいの唄」があるんですが、歌や踊りの指導をするときに「指さす先にあるのは、ふるさとよ」と、話をするんです。佐那河内や東祖谷で公演をしたとき、地元の小学生に出演してもらったんですが、小さい子には難しいかなと思う内容も、みんな真剣に聞いてくれて、高学年の子は恥ずかしがってふざけたりしそうなものですが、そんな子は一人もいませんでした。親が子供を大事に思い、食べるものを食べさせて、着せて寝かせて…という日々の生活を丁寧にしてないと、なかなかそうはいかない。地域がこの子たちを育てたんだな、と。近所のおじちゃん、おばちゃんに大事にしてもらったり、先生に愛情をもって教えてもらったりっていう環境があったから、できることだと思います。
--私も拝見したことがありますが、まさにそれを感じられるミュージカルだと思います。
蔭岡さん:ここへ来る前に、教育委員会に電話して成人式に“もんてこいミュージカル”をさせてもらえないか聞いてみたら「やってください」って。
殿谷さん:成人式がひとつ分かれ道。大事な年代だもんね。
蔭岡さん:それから30歳も。新作を書こうと思ってインタビューした子が30歳くらいだったんだけど、その子が結婚して「子育てどうしよう?」と思った時に、「親の近くで自分が育った環境で子育てしてもいいなと思って、帰ってきた」という話を聞いて、30歳もひとつの節目だなと。10、20、30歳くらいの人に集まってもらって見てもらえたらいいなと思っています。