移住者インタビュー

Interview

支援団体専門・その他神山町

“創造的過疎”から考える次世代の町づくり。

大南信也さん

特定非営利活動法人(NPO)グリーンバレー 理事長

取材年月:2016年3月

全国的に“ITのまち”として知られ、サテライトオフィスの誘致などで有名な神山町。ここで移住支援を軸にした創造的な町づくりを行う特定非営利活動法人(NPO)グリーンバレー理事長の大南信也さんにお話をお伺いしました。

移住支援のきっかけは「アート」だった。

--神山町のご出身だそうですが、大南さんから見たこの地域はどんなところですか。

大南さん:徳島県東部の中山間地域に位置する神山町は、ほかの地域と同じく過疎化・少子高齢化が進んでいます。2004年に町内全域に光ファイバー網を整備したことをきっかけに注目を集めた結果“ITのまち”という先進的なイメージが強い神山町ですが、それでも高齢化率は47パーセント。「二人に一人は高齢者である」という厳しい現実があります。地方における問題点は「若者が故郷へ帰ってくることができない」に始まり「移住者を呼び込むことができない」や「地域を担う後継人材が育たない」という点が挙げられますが、まずはこの現状を直視して受け入れるところから始めるべきだと考えています。特定非営利活動法人(NPO)グリーンバレーが設立されてから10年以上が経過した今、私たちは農林業のみに頼らない“創造的過疎”をキーワードに、持続可能な地域づくりの第二段階に入りました。アスリートでいえば、やっと戦える基礎体力がついたので、さらに身体を筋肉質へと創り変えていくような段階ですね。

--“創造的過疎”の町づくりを行ってきたグリーンバレーについて教えてください。

大南さん:グリーンバレーは2004年に設立された特定非営利活動法人(NPO)です。今でこそ『アーティスト・イン・レジデンス』を筆頭に、神山塾やサテライトオフィスの誘致などを含めた移住支援を手掛けていますが、最初のきっかけは「アリス里帰り推進委員会」の設立です。これは1927年に日米親善のためにアメリカから贈られた“青い目のアリス”と呼ばれる人形を里帰りさせようと考えた有志の集まりで、その成功体験を共有したメンバーが発展形として神山町国際交流協会を設立したんですよ。大きな転機となったのは1997年から始まった徳島県新長期計画の『とくしま国際文化村プロジェクト』。そこで主体的に企画から関わるために設立した国際文化村委員会を経て、毎年3組のアーティストを神山町へ招待する『アーティスト・イン・レジデンス』へとつながりました。こうした活動を続けているうち、毎年のように神山町へ移住する芸術家が出てくるようになった状況が、私たちの移住支援の起点となったんです。

--国内外のアーティストが神山町へ移住するようになっていったということですか。

大南さん:アーティストたちから「移住したい」と頼まれる機会が増えるとともに、空き家を探したり、引っ越しの手伝いなどをするようになりました。そのおかげで町外からの移住をサポートするためのノウハウが蓄積されていったんです。毎年『アーティスト・イン・レジデンス』を開催しているうち、県内外から作品を見学するために訪れる人たちも増えましたし、自費で制作滞在を希望するアーティストも出てくるようになって…。神山町の持つ「場の価値」が少しずつ高まっていった過程ですね。当然、さまざまな問い合わせが多くなりますから、次のステップとしては情報発信に注力しました。そこで働き方研究家である西村佳哲さんとトノループ・ネットワークス代表であるトム・ヴィンセントさんの協力を得て始めたのが、現在も私たちの情報発信窓口として大切な役割を持つウェブサイト『イン神山』です。

外から来る人の影響で少しずつ変わる町。

--『イン神山』の開設によって、さらに神山に興味を持つ人が増えていったんですね。

大南さん:地域の良さを外へ向かってアピールするとき、世界中からアクセスできるウェブサイトは非常に効果的な媒体ですが、その一方で良い部分だけを無理して見せるようなものをつくると、実際に訪れた人が「想像していた町と違う…」とガッカリしてしまうケースが少なくありません。そういう「悪いギャップ」が生まれることは何のプラスにもならないんですよ。料理でもそうでしょう。立派なメニューを見て注文したのに、運ばれた料理が残念な出来だったら、その店には足を運ばなくなりますよね(笑)。ですから、あえて過度のデザインをせず「等身大の神山町」を見せることに徹しています。こうして生まれた『イン神山』の情報を受けて移住を希望する方が少しずつ増えていくなか、先行する『アーティスト・イン・レジデンス』に倣ってスタートした次のステップが『ワーク・イン・レジデンス』という試みです。

--聞き慣れない言葉ですが『ワーク・イン・レジデンス』とはどのようなものですか。

大南さん:一言でいえば、神山町の将来にとって必要と思われる業種・職種の働き手を「逆指名」するというシステムになります。地域に足りない業種や職種の人を募集すれば、移住してくる人、受け入れる地域の人、どちらにもメリットがあるでしょう。町に足りない職能を持つ人を呼び込むことで、能動的に地域のデザインをすることができるわけです。この試みからカフェやベーカリー、歯科医や靴屋などが誕生したおかげで、地域にも活気が出てきたと感じています。

--受け入れ側から移住者の業種や職種を指定するのは非常に面白い試みの一つです。

大南さん:ただ、スタートから約8年が経過した今は『ワーク・イン・レジデンス』も一つの役割を終えたのかもしれないと考えています。たとえば、2013年に「Café on y va」、2014年には「Yusan Pizza」がオープンし、それぞれ県外からもお客さんが訪れるお店へと成長していますが、実は本格的なフレンチが食べられるビストロや窯で焼き上げたピザを提供するお店は、さすがに神山町でも厳しいんじゃないかと思っていたんですよ。しかし、蓋を開けてみれば、どちらも評判の高いお店になり、町の人たちも喜んで足を運ぶ「地元の店」になりつつあります。観光で訪れた若い女性の目を気にして、地元のお年寄りが身なりに気を使う変化も生まれているんです(笑)。つまり、私たちの想像を超える結果が出てきたわけで、必ずしも業種・職種の働き手を「逆指名」しなくても成り立つようになっていったのは歓迎すべき変化ですね。

誰もが「ワクワクする」未来へ向かって。

--2010年以降も神山塾のスタートやサテライトオフィスの誘致などが続きますね。

大南さん:グリーンバレーが掲げるビジョンは三つあります。一つ目は「“人”をコンテンツにしたクリエイティブな田舎づくり」、二つ目は「多様な人の知恵が融合する“世界の神山”づくり」、そして、三つ目は最初にもお話した「“創造的過疎”による持続可能な地域づくり」です。これらを実現するための行動として神山塾のスタートやサテライトオフィスの誘致を進めてきました。地元に雇用を創出し、20代から30代の若者を対象に「自分で考える」タイプの人材を育成することで、町の将来を一緒に考えてくれる新たな仲間を増やす努力を続けています。

--大南さんからご覧になって、地域が変わったと感じられるのはどんなところですか。

大南さん:そうですね。私が町づくりに携わるようになってから、もう四半世紀近くになりますが、かつては移住者の方からしか聞くことができなかった「神山はワクワクする」という言葉を地元の人が発するようになった点は大きな変化だと思っています。地域を変えていくにはどうしても時間がかかるもの。移住者は異なる文化を新たに持ち込むわけですから、そこに摩擦が生じるのは当たり前です。神山町はALT(Assistant Language Teacher)や『アーティスト・イン・レジデンス』で外国人が訪れる機会が多かったこともプラスに働いたのではないでしょうか。いわば最初の移住者が言葉の通じない相手だったわけですから、同じ日本人である移住者の受け入れには、どちらかといえば心理的なハードルが低くなっていたような気がします。

--もともと神山町の人々が持っている気質のような部分も影響しているのでしょうか。

大南さん:2014年に移住して町民の一人となった働き方研究家の西村佳哲さんによれば、神山町の人々の良さは「健やかさ」だそうです。それは移住者を受け入れる懐の広さや明るさにも起因しているのかもしれません。アーティストに代表される外から来た人が楽しそうに暮らしていることで、もともと住んでいた人の価値観も変わりつつあるんです。日々の暮らしそのものを楽しむようになりましたし、自分たちが住む土地には「面白いことがある」と考えるようになってきています。それはやはり『アーティスト・イン・レジデンス』のおかげだと思うんですね。これからもアートこそが神山町が変わり続ける原動力であることは間違いありません。

--最後に徳島県への移住を考えている人へのメッセージをお願いします。

大南さん:よく「神山町は変わった」「神山町は移住に先進的な地域」といわれます。しかし、町の総人口のうち、移住者の占める割合は実質2.5パーセントに過ぎません。とはいえ、この2.5パーセントの人たちが神山町に定住することによって注目度は高まり、どんどん地域の未来が明るい方向へ変わってきたという現実があります。アートやカルチャーを中心とした町の再生の特長は「そこに何があるか」ではなく「そこにどんな人が集まるか」。神山町は「こんなことがやりたい!」という決断が実現しやすい場所だと思います。まだまだ地域全体も変わり続けている最中ですが、芸術を核にしつつ、より良い町を一緒につくっていけるといいですね。