移住者インタビュー

Interview

Iターン20代30代工芸上板町

自分たちだけの「色」を表現するために。

渡邉健太さん(左)

出身地:山形県

移住年:2012年

現住所:上板町

職業:藍師、染師

楮覚郎さん(右)

出身地:青森県

移住年:2012年

現住所:上板町

職業:藍師、染師

取材年月:2016年3月

上板町地域おこし協力隊の同期として、偶然の出会いを果たした渡邉さんと楮さん。二人が立ち上げた「BUAISOU」は、藍の栽培から製品製作までを一貫して行うアーティストグループとして、国内外から大きな注目を集めています。それぞれの言葉から、上板町から始まった、新たな「藍色」の物語が見えてきます。

藍の産地で「BUAISOU」を結成。

--お二人は「上板町地域おこし協力隊」で知り合われたそうですが、なぜ上板町に来ようと思ったのですか?

渡邉さん:僕は藍染めに興味があったのですが、どこを探しても受け入れ先が見つかりませんでした。そんな時、すくも(藍の染料)の生産量日本一を誇る上板町が、地域おこし協力隊の募集をしていたんです。しかもその作業内容が、藍作、すくも作り、染織など、すべての工程に携わるというものでした。これは願ったり叶ったりだと飛びつきましたね。

楮さん:僕は東京の大学で草木染めの研究をしていたのですが、卒業後は一つの色に絞り込んで染めを追求してみたいと思っていました。いろんな染料を経験する中で、藍染めだけは使ったことがなくて。職人によって染料の種類も全然違うし、どれが正解なのか分からなかったからです。上板町の藍が日本古来のタデ藍を使っていたこともあり、ここで一から学んでみたいと思って地域おこし協力隊に応募しました。

--なぜ二人で「BUAISOU」を立ち上げようと?

渡邉さん:実際に藍染めについて学んでみると、3年という限られた期間の中で、畑仕事から製品化までのすべてを習得するのはムリだと気付いたんです。でも、二人で役割を分担すれば、何とかなるかもしれないなって。そこで「BUAISOU」というユニットを立ち上げ、将来的に二人で独立してやっていくための準備を始めました。ちなみに「BUAISOU」の名前は、白州次郎の「武相荘」という邸宅名がもとになっています。

楮さん:二人が好きな言葉の共通点から、白州次郎に行き着いたんだよね(笑)。僕たちが一番大切にしているのは、自分たちの作った「色」で染織をするということ。ちゃんと土作りをして種を植え、葉っぱを育てて、それがどんな色になるのかが一番興味のある部分なんです。徳島県には、阿波藍の伝統を受け継ぐ5軒の藍師がいらっしゃいますが、その中の一つである新居製藍所で学ばせていただけたのは本当に幸運でした。

地域の温かいサポートを受けて。

--2015年には会社法人として「BUAISOU」を設立されました。そこに至るまでには苦労も多かったと思います。

渡邉さん:地域おこし協力隊の任期を終えた後、すぐに活動を始められるよう二人でいろいろ準備をしたことを覚えています。過去に藍を栽培していた方からカッターや送風機をいただいたり、中古の安いトラクターを購入したり。給料を二人で貯めて、少しずつ体制を整えていきました。

--今では古民家を改修して事務所と作業場にされていますね。

楮さん:ここは、もともと小学校の廃材を利用して作られた牛舎だったんです。改修に多くの予算を掛けることが難しい状況でしたが、町内の業者さんやお店、商工会の方々が足りない部材や設備機器を集めてくれて。障子や畳、お風呂や配線など、いただいたものを数えればきりがないぐらいです。地元の方々の温かいサポートのお陰で、今の僕たちがあると思っています。また、町や県からも創業者支援や新規就農などの助成金を支援していただき、本当に感謝しています。

独自のジャパンブルーが国内外で話題に。

--今ではニューヨークに支所を出されているほか、アパレルから雑貨まで、大手百貨店や有名ブランドとのコラボレーションも多く手掛けられています。短期間で、これほどまでの成功を収められたのはなぜですか?

渡邉さん:今の5人のメンバーが、それぞれの能力を発揮しているからではないでしょうか。僕たち2人だけだったら、まだどこかの体育館で細々と作品展示をしているかも(笑)。そもそもニューヨークに展示しようと提案してくれたのも、マネージャーを務める西本の提案なんです。

楮さん:逆にちょっと忙しすぎて、染めがなかなか追いつかない状況だよね(笑)。でも、あまり先のことを考えすぎず、目の前のことを一つずつ、丁寧に積み重ねていくことが大事だと思っています。

--最後に、それぞれの抱負をお聞かせください

渡邉さん:最近は僕も楮も結婚し、上板町で新たな一歩を踏み出しています。ここまで来るのにいろいろあったけれど、徳島の藍染めを発信することで、少しは地域おこし協力隊としての使命も果たせたのかなって。これからも僕は全体のバランスを取りながら、楮が作業に没頭できる環境を作り出していきたいですね。

楮さん:藍の栽培から製造まで、すべての工程に関わっているからこそ表現できる「色」があると思っています。どの工程も僕にとっては大切なことなので、これからもすべての分野で経験を重ねながら「BUAISOU」にしか出せない藍色を発信していきたいです。